トゥール・スレーン博物館は市内の南部にあって、徒歩でも行くことができます。入場料2$。
トゥール・スレーン博物館(S-21)
1970年代、ポル・ポトが政権を握り、全土に恐怖政治を敷いた。
S21は、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)支配下のカンボジア(民主カンボジア)において設けられていた政治犯収容所の暗号名である。
稼働中は存在そのものが秘密であったため公式名称は無い。現在は地名を取ってトゥール・スレンと呼ばれており、国立のトゥール・スレン虐殺博物館となっている。
2年9ヶ月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人(現在身元が分かっているのは7人)のみであった(これまでは7人とされていたが、2007年、別の刑務所に移送されたため生き残った女性1人が名乗り出た)。 (Wikkipedia)
ポル・ポトは貧困に苦しむ農村部の若者たちに、都市部の住民たちのせいで農村部はこのような状態なのだと思いこませる教育を行った。
彼らはクメール・ルージュと呼ばれた。
ポル・ポトは安定した生活を約束し、その代わりに自分へ従うように命じた。
都市部の住民は彼らによって、「メガネをかけている」「背が小さい」などの言いがかりをつけられ農村に連行され、強制的に働かせられた。
その際に、様々な理由をつけられ投獄し、拷問されりものとして使用されたのがここ。
知識人が投獄されていた。
一緒に当時の写真も展示されています。
B棟は独房で、1階はレンガ、2階は木の扉で敷きられていました。
ここからは環境がひどくて写真を撮るころができませんでした。
狭く、冷たい空間。
C・D棟は入所時の個人写真や亡くなった当時の生々しい写真の展示、沖縄にある記念館の紹介などがありました。
キリング・フィールドは市内から15km離れたところにあり、バスでの送迎のツアーは3$、トゥクトゥクだと往復12$程度で行くことができます。
入場料は5$。
キリング・フィールド
トゥール・スレーン収容所に投獄されている人を処刑していた場所。
レセプションで各国の音声ガイドが無料で貸し出されてそれを聞きながら見学。
どういった経緯でこのような残虐な出来事が起こったのか、ここで行われていたことの詳細、トゥール・スレーンに投獄されていた人の証言など、分かりやすく解説してくれます。
一見、のどかな緑の生い茂る公園に見えるけど、遠い昔ではない40年前にも満たない時にはここで残虐な行為が行われていたとは信じられませんでした。
順路に沿って歩いていると、骨が埋葬されていた大きな穴があったり、
時々人骨や衣服が地面からむき出しになっているところがあり、まだ掘り起こされず眠っている人々が多くいるのだと実感しました。
殺害された中には2歳にも満たない赤ちゃんもおり、赤ちゃんたちは足をもって頭を木にうちつけて殺害されたそうです。
子ども、大人は身近にあるオノやナタなどの農具で。。。
同じ顔をし、同じ言語を話すのに・・・。
ここには掘りおこされた骨たちが安置されています。
キリング・フィールドはここ以外にも各地に点在います。
3年間の間に国民の1/3にあたる人が殺害されました。
この事実が戦後の後、両親がちょうどクメール・ルージュたちと同年代の時のことだと思うと。。。
見学するのにとても辛い、2カ所だったけど、現在のカンボジアの状況について理解が深まりました。
0 件のコメント:
コメントを投稿